釣り人あるあるの道具沼と、その正体について
■ はじめに
釣りを始めた頃は、道具なんて「釣れれば何でもいい」って思っていた。
最初はセット竿。
港の釣具屋で売ってる、竿とリールが一緒になったやつ。
ケースもついていて、なにより安かった。あれで充分だと思ってた。
しばらくして、「もっと遠くに飛ばしたいな」とか「軽いやつのほうが疲れないな」と思い始める。
次に手に取ったのは、ちょっとだけ口コミ評価がいい“そこそこの”ロッド。
そのあと、新製品で値下げされていた「コスパがいい」と評判のロッドをネットで購入。
レビュー評価も高いし、これでしばらくは満足できるだろうと思っていた。
でも、結局——ずっと気になっていた、あの高いやつに、手を出してしまう。
「最初からそれ買っとけばよかったんじゃ?」
そう思ったこと、釣り人なら一度はあるはずだ。
■ 安物でも釣れる。でも…
誤解のないように言えば、安い道具でも魚は釣れる。
実際、自分も最初のセット竿でアジもメバルも釣ったし、運よくアコウもかけたことがある。
魚にとっては、道具の値段なんてどうでもいい。
でも、釣れることと「釣ってて気持ちいいか」は、実はちょっと別の話だ。
たとえば——
キャストのときにしなやかに振り抜ける感覚。
アタリがあった瞬間の「コンッ!」という手元への伝わり方。
リールの巻き心地。ノイズのない滑らかな回転。
1日使っても疲れにくい軽さと、絶妙なバランス。
そういう“ちょっとずつの違い”が、積み重なると大きな差になる。
■ 「もう一段階いいやつ」を買ってみる
少し釣果も増えてきて、道具にも慣れてくると、自然と「もう少し良いやつが欲しいな」と思い始める。
次に選ぶのは、ちょっとだけランクが上のモデル。いわゆる“中堅機種”。
たしかに最初のセット竿に比べれば、感度も操作性も格段に上がる。
何より見た目がカッコいい。所有感がある。
でも、どこか満たされない。
なぜかというと——最初に「いいな」と思ってた“あれ”じゃないからだ。
人間って、欲しかったものじゃなくて「代わりに買ったもの」だと、
どこかで「まだ終わってない」って気持ちが残る。
価格じゃない。性能だけでもない。
**「自分が本当に欲しかったものかどうか」**って、実はすごく大事だと思う。
■ それでも回り道をしてしまう理由
釣りを続けていると、多くの人が似たようなルートをたどる。
- 安いので始める
- 物足りなくなって「そこそこ」へ
- 話題の“コスパ最強”新製品に浮気する
- 結局、ずっと気になっていた「高い本命」を買う
気づけば、ロッドスタンドには似たようなスペックのロッドが4本並んでる。
時間もお金もけっこう使って、ようやく落ち着く。
でも、不思議と「無駄だった」とは思わない。
むしろ、その遠回りの過程があったからこそ、
今この一本を「最高だ」と思える自分がいる。
■ 結局、最初から気に入ったのを買うべきだったのか?
これは、少し哲学的な問いかもしれない。
たしかに、最初から高いのを買っていれば、出費も抑えられたかもしれない。
でも、その頃の自分にそれを持たせても、
きっと「なんかすごいけど、よくわからないな」と思って終わっていた気がする。
段階を踏んで、いろんな竿やリールを使って、失敗もして、
それでやっとわかるようになる“良さ”って、確かにある。
だから、きっと——
回り道も、その人にとって必要な道だったんじゃないかと思う。
■ おわりに
釣りは、ただ魚を釣るだけじゃない。
その前の準備、キャストの一瞬、やり取りの高揚、取り込んだあとの余韻——
全部ひっくるめて、釣りの楽しさだと思う。
いい道具は、その体験の質を少しだけ、でも確実に高めてくれる。
見栄かもしれない。自己満足かもしれない。
でも、自分が気持ちよく、楽しく釣りができるなら、それで充分。
あなたにも、そんな「気持ちいい一本」が、見つかりますように
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